写真家 谷口雅彦 MOOK写真集『稚児と大仏』

Taniguchi Masahiko Home Page

目次へ戻る 谷口雅彦写真叢書INDEXへ戻る 画像
9999999999999

谷口雅彦写真集[沈黙と饒舌と 原発のある町]


谷口雅彦写真集 [沈黙と饒舌と 原発のある町]

224ページ(オールカラー) 商品の寸法 25.7×18.2×1.6
2012年3月9日全国発売。
定価2940円(税込)
発売元 白夜書房
編集 末井昭(白夜書房)
企画 取材 土屋幸仁
プロデュース 成田泉
制作 (有)ラップ

<内容紹介>

東日本大震災後、5月から被災地を回る中でふと感じた、原発被災 地の人々の複雑な心の内。
そして沸き上がる疑問と抑えがたい衝動 。
「日本各地の原発と原発の街はどうなっているのだろう?」
「原発の街に住む人々は何を考えているのか?」
世論がより加速度的に脱原発に傾いていく中、被災地巡りと並行し て、僕らは興味の赴くまま原発のある町を次々と訪ね歩いた。
レンズやマイクを向けると、町の人たちは時に饒舌に語り、時に沈 黙する。
その過程で、盲信的な脱原発論への疑問を感じ、自然と調和する原 発のたたずまいの荘厳さに素直に心打たれた。
そして僕らは考えた。
「原子力発電所は何をもたらし、何を奪ったのだろう?」
著者・企画者が日本全国、延べ30,000kmの原発巡りを敢行する中で 、自身のポリシーの揺らぎを感じ、お祭り騒ぎと化した脱原発ムー ブメントに疑問を持ったからこそ行き着いた、推進でも脱原発でも ないニュートラルな原発写真集。
読後にモヤモヤした気持ちを感じたら、それは読者各自が原発の今 後を考え始めたサインです。

<構成>

「目に見えぬ放射能の足跡」 福島県広野町・南相馬市

「東北 原発紀行」 宮城県女川原発 青森県六ケ所村・東通(ひ がしどおり)原発

「急峻な山地 明媚な海」 山口県上関原発建設地・祝島 愛媛県 伊方原発

「町はあれど・・・」 福島県飯舘村全村避難期限日

「原発銀座を往く」 福井県大飯原発・高浜原発・美浜原発・もん じゅ・敦賀原発 石川県志賀原発 新潟県柏崎刈羽原発

「困惑 狼狽 諦め」 福島県福島市飯野・相馬市松川浦漁港 岩 手県陸前高田市

「沈黙と饒舌・・・休日の官庁街に響く勝ち鬨」 東京都経済産業 省前の「原発いらない福島の女たち」デモ

「福島から遠く離れた沈黙の街」 佐賀県玄海原発 鹿児島県川内 原発

「変わらぬ日常」 福島県福島市ペット保護シェルター・いわき市  宮城県仙台市の脱原発署名運動 茨城県東海原発

「原発雪化粧」 青森県大間原発建設地 北海道泊原発

「威容を誇る巨大神殿」 静岡県浜岡原発 島根県島根原発

「消えた人の息遣い」 福島県葛尾村・浪江町・飯舘村

[Youtube] 必見!!



[白夜書房ホームページ]<http://www.byakuya-shobo.co.jp/>

[関連リンク]
http://www.amazon.co.jp/%E6%B2%88%E9%BB%99%E3%81%A8%E9%A5%92 %E8%88%8C%E3%81%A8-%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%81%AE%E3%81%82%E3%8 2%8B%E7%94%BA-%E8%B0%B7%E5%8F%A3-%E9%9B%85%E5%BD%A6/dp/48619 18618


【取材を終えて】

急ぎ足だが福島県葛尾村、浪江町、飯舘村を取材して、〆切ギリギ リ、全国の原子力発電所のある町や建設予定地、そして原発事故の 影響を受けた町などの取材を、一通り終えることとなった。
取材開始したのが昨年5月、ぼくは福島第一原子力発電所事故発生 当初からすぐに動いた訳ではない。
事故当初、世の中が大騒ぎをしている頃、ぼくは被災地取材は独自 に行なっていたが、原発事故に関しては静観している状態だった。
それが、東京電力や国の対応などの遅さ、そこで翻弄された人々。 なのに無関心を装う都会人。
そんな状態に直面し、一昨年末に、「何かあったら一緒にやりたい ね」と話していた編集土屋氏から、原発の写真集を作りたいと企画 を伝えられ、翌日、二つ返事でやることを決めたのがそもそもの始 まりだった。

以前、このブログにも書いたが、実は1988年に、北海道の泊村の原 子力発電所一号機が稼働するというタイミングの頃、まだ専門学校 の学生だったぼくは、泊を始め全国のいくつかの原子力発電所を取 材してまわったことがあった。
確かぼくが取材した時は24基ほどだったと思うが、あれから23、4 年が経ち、全国の原子力発電所は現在、17カ所54基を数えている。

なんでそんな昔に既に原子力発電所取材をしたのか?と聞かれたり するが、それには理由がある。

1986年に旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所事故があり、その時 に放射能が故郷北海道にも降り注ぐ危険性があるという体験をした からだ。

チェルノブイリ事故の時、ぼくは進学で東京に住んでいたから東京 から故郷の家族を心配した。

そんな体験と、1988年当時通っていた専門学校の写真授業の担任の 先生が、硬派な原発の写真で著名な写真家樋口健二さんだったこと も影響している。
樋口さんから、原発の話しを聞いたり著作物を読ませていただいて いるうちに、自分の目で見てみたいと思ったのだ。

夏休みを使って、東京で今でいうルームシェアしていた同居人O君 と旅をしようと思いたち、北海道に向けて北上、ちょうど北海道で 初めての原子力発電所がもうすぐ稼働することを知り、急遽、泊へ 向かうことにしたのだった。

21歳のぼくは、フォトジャーナリスト気分で泊の原子力発電所に足 を運んだ。
反対デモをしている方達と発電所を警備する人たちとのぶつかり合 い(というほどではないかな)に出くわすことになり、その模様を 撮影した。

実際に足を運んで驚いた。

反原発を訴えている方達が、地域住民ではなく、外から来ている人 達だったからだ。

そのことは、そのあとの地域住民の取材で理由がわかってきた。

チェルノブイリのような事故が起きたら恐い原子力発電所を稼働し てほしくはないという気持ちで向かった泊で、夜暗くなってからの 原子力発電所入口までの反原発のデモをやる方達を取材し ている最中に、飲酒してから参加していたと思われる幾人から蹴ら れたりして暴行を受けるという、初っ端から厳しい仕打ちを受けて しまったのだった。

反原発を訴えている方達の事務局に、昼間のうちに挨拶をして素性 もあかしての取材だったのに。。。

ぼくは、酔っ払いに暴行を受けただけで考えを翻す気持ちはサラサ ラないが、いわゆる反原発というのも、なんだかしっくり行かない なぁと感じてしまったのだ。

もちろんきちんとした姿勢で反原発運動をしている方々もいるのも 今は理解しているが、この体験がきっかけで、全国にある原子力発 電所とその町はどんな感じなのだろうと気になり、泊原子力発電所 を後にした。

北海道を出て、青函トンネルを通り、本州、日本海沿いを南下、鳥 取から瀬戸内海側に出て、できたばかりの瀬戸大橋を渡り、四国、 フェリーで別府に渡り、九州をぐるっとまわって再び本州へ。

気がつけば日本一周原子力発電所の旅みたいなことをしてしまった のだ。

あれから23年の2011年。 福島第一原子力発電所の事故が起きた。

事故により世の中は、混乱した。

今現在も解決していない。。。

人間がやることに完璧はない。 ならば、念には念のセキュリティを徹底し、もし最悪なシナリオが 起きた場合を想定してからの運用でなければ許されないだろう。

しかし福島第一原子力発電所の事故は、残念ながら既に起きてしま ったのだ。

最悪の事態が起きたこと。

ぼくが四半世紀前に危惧していたことが起きてしまった。

だからと言ってぼくの本心は、「ほら見たことか!」ではなく、ぼ くも事前に止められなかったと、事故に加担した一人のように感じ たのだ。

以前から、危ないと感じていたのに、結局はアクションすることが できなく事故を迎えてしまったこと。

ぼくが加担したなんて、誰からも責められることではないかもしれ ないが、 少なくても、日本全国の原子力発電所のある町を、再びまわる旅を したい!
しなければならない!と感じたのだった。

そして、その報告を写真集で世に問いたい。

写真集を手に取って見た方が、しっかりと自分の意見を持っていた だけたらと切に願っています。

谷口雅彦ブログ「続 谷口雅彦 写真の他火(たび)日記 2012年1 月20日」より


画像




目次へ戻る 谷口雅彦写真叢書INDEXへ戻る 画像














FC2 キャッシング 無料ホームページ ブログ blog