写真家 谷口雅彦・たにぐちまさひこプロフィールアーカイブ

【写真家 谷口雅彦・たにぐちまさひこ プロフィールアーカイブ】

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●1967年5月27日北海道旭川市春光町2区6条、作家井上靖の生家跡の四軒隣りに生まれる。
●1970年3歳で初めて写真を撮る(母の笑顔 北海道)。
●小学時代は脚本を書いて芝居を劇団ポポロン公演[おしょうさん物語][どろぼう物語][CM特集]、中学時代は天文写真部分日食連続撮影(1981年7月31日 北海道)、友人と鉄道の旅や地方巡業に来た相撲とり相撲雑誌「朝汐関、琴風関、蔵間関(投稿写真 『相撲』ベースボールマガジン社 1982)」を撮影、8ミリフィルムで実験映画を制作「雷(1980)」「嘘のようなホントの話し(1981)」「犯人と刑事(1981)」、高校時代は写真部に入り新聞「語らい(『北海道新聞旭川版・フォト旭川 旭川実業高校写真部今月の作品から』北海道新聞社 1985)」、キャンペーンやライブでアイドル歌手を撮って、同級生相手に1枚100円で生写真を売るカメラ月刊誌「森尾由美(投稿写真 『CAPA』学習研究社 1983)」。今となっては違法行為というか当時も。謝。自ら映画研究同好会を結成してビデオ映画「9人目の少年(監督・脚本・後半部未完 1983)」を制作。
●1986年地元の高校を卒業後大学進学のため上京、大学では日本国文を専攻する。湘南海岸に行っては海やその周辺の写真を撮っていた。
●1988年日本一周の旅(7月〜9月 北海道から鹿児島)。この旅でカラーポジで撮影した作品がのちに開催する初めての展覧会に出品して売れた写真展[写真と絵画の4人展(つらなる 1990 東京)]。
●1989年日本ジャーナリスト専門学校研究科(メディア研修科)卒業。在学中から写真家丹野章に師事。
●1989年昭和天皇大喪の礼スクープ写真で毎日新聞ニュース写真2月度月間賞、1990年、ニュース写真'89度賞特選を受賞する新聞「車列に過激派、スクープ写真(『毎日新聞朝刊全国版』毎日新聞社 1989年2月25日)」 週刊誌「大喪の礼(『サンデー毎日』毎日新聞社 1989年3月12日)」 グラフ誌「大喪の礼 冷雨に煙る列島 思い様々 昭和に惜別(投稿スクープ写真 『グラフ毎日』毎日新聞社 1989年3月12日号)」新聞「投稿写真2月度月間賞(『毎日新聞』毎日新聞社 1989年3月)」「ニュース写真2月度月間賞(日本報道写真連盟機関誌『報道写真』1989年5月5日)」「ニュース写真'89年度(『毎日新聞朝刊全国版』毎日新聞社 1990年1月29日)」
●1989年株式会社フォートサービスに入社。職業カメラマン(会社員)として勤務、撮影と暗室の日々。悶々とした毎日を過ごす。新体操や女子バレーボールなどの撮影や、大道芸人写真展[大道芸人写真展(1991 東京)]や劇団の舞台写真写真展[樺太1945年夏舞台写真展(1991 東京)]を撮影する。
●1992年1月からストリッパーを撮影開始、高樹麗写真展[匂いたつ聖夜(よる)―ストリッパー高樹麗の舞台―(1993 東京)]を知る。
●1992年1月写真家細江英公主宰の写真教室【CORPUS】第2期受講。【CORPUS】において細江英公に師事。第3期〜第7期(1994年)まで【CORPUS】の助手を務めるかたわら、5月、会社員を辞め、フリーの写真家となる。舞踏家を撮影開始、大野一雄写真展[顕在化する肉体〜舞踏〜(1994 北海道 名古屋 東京)]、元藤あき子写真展[顕在化する肉体〜舞踏〜(1994 北海道 名古屋 東京)]、和栗由紀夫写真展[CORPUS修了展(トルソ 1993 東京)]写真展[踊る写真展(大野一雄公演『御殿、空を飛ぶ』参加 1993 横浜)]写真展[顕在化する肉体〜舞踏〜(1994 北海道 名古屋 東京)]、工藤丈輝写真展[写真タワー(日々の旅 1997 北海道)]写真展[二十年記77/98(肉体と日本 1998 北海道)]写真展[肉体と日本(2003 北海道)写真展[肉体と日本から改題・古譚抄(2004 東京)]、川本裕子(夕子)写真展[写真タワー(series〜裸態〜 1997 北海道)]などを知る。
●1993年【CORPUS】5期生の佐々木六介、細渕太麻紀、笠井爾示、菊池美紀、西岡浩記、大井慶子の若手写真家集団【CUM‐ADMIX】に加入し、ギャラリーとなったBarの壁、床、天井、階段に写真を隙間なく貼り展示する写真展[CUM‐ADMIX<INVOKE>(1993 東京)]。当時、若手写真家の発表の場が少なく、それであれば自分達で風穴を空けてやろう!という気概で活動したが、翌年自然解散。1998年4人(佐々木六介、菊池美紀、西岡浩記、谷口雅彦)で再結成写真展[CUM−ADMIXシャシンテン (1998 東京)]、『PaPaMaMa STORE vol.1』(芸文社)誌上で若手写真ブームの終焉を勝手に宣言して翌年解散。
●1994年同じ誕生日の3人の写真家(菊池美紀1967年5月27日生、村瀬太加夫1969年5月27日生、谷口雅彦1967年5月27日生)で実験写真集団【527】を結成、コピー紙のみで写真展を開催[コピーでlet's527(1996 東京)]したり、国際的なアートイベントに参加して、大通りに面したビルに5メートルの写真壁画を制作展示[KISS DE 527(1996 東京)]する。9回の展覧会を開催して1998年解散。
●1994年2回目の日本一周の旅(7月〜8月 北海道礼文島から鹿児島指宿)、主に海岸線をなぞる旅。
●1995年ノニータ、笠井爾示、村瀬太加夫と【中目派】を結成。すぐにノニ−タが脱退。1回の写真展[中目派誕生!(1996 東京)]で解散。
●1997年北海道の写真の町・東川町文化ギャラリーを拠点に7人展、旭川市、東川町、美瑛町7ヵ所のギャラリーで各々の個展を同時開催、期間中、東川町の一軒家に参加写真家が一同に合宿、写真ワークショップを開催する若手写真家7人展【写真タワー】(青木美砂、安彦裕介、菊池美紀、熊谷聖司、野口里佳、村瀬太加夫、谷口雅彦)を自主企画運営する[写真タワー(1997 北海道)]。1998年から1999年東川に一軒家を借りてアトリエにする。1997年から2000年まで【写真タワープロジェクト】を自主企画運営する写真展[二十年記77/98(1998 北海道)]写真展 [1999PHOTODIMENSION〜写真の広がり〜(高田彰、竹中圭樹、中藤毅彦 谷口雅彦 1999 北海道)]etc…。同時に、旭川の写真ギャラリー<フォーカス>を拠点に2001年まで5年間個展を連続開催写真展[九十九の旅(1999 北海道)]写真展[こばこまめ〜小田原・箱根・伊豆〜(2000 北海道)]etc…。
●1999年旭川の写真ギャラリー<フォーカス>に【谷口雅彦写真研究準備室(通称・写真を観る会)】を設立。
●1999年と2000年沖縄与那国島に滞在、異文化に軽いショックを受ける。
●2000年北海道旭川の10代から20代の写真愛好家たちが集まり、写真愛好家集団【フォトゲノム】に参加。翌年<フォーカス>にて、壁、床、天井を写真で埋め尽くす展覧会を開催する。床に展示した写真に対して、観客数人から異論が投げかけられる。このグループ展以降、グループ展や企画運営としての写真活動を封印、個人の写真活動に重きを置くべく東京に拠点を移す。
●2002年文庫本『裸女の秘技絢爛絵巻〜ストリップはいま〜』(河出書房新社)を出版。
●2002年写真誌『PhotoPre』創刊に参画する(窓社)。(2003年8月・4号まで)
●2002年初の写真集『日々の旅1993−2002』を出版する(ワイズ写真叢書15)。
●2003年最後まで残っていた和歌山県を踏破、15年かけて47都道府県全てを廻る。
●2004年MOOK写真集『稚児と大仏』を出版する(オフィスMaP)。
●2004年内に『写真家生活』(窓社)を出版予定。
●1992年から、数々の 舞踏家 写真展[CORPUS修了展(1993 東京)]カメラ誌「顕在化する肉体〜舞踏〜(『アサヒカメラ』朝日新聞社 1994)」新聞「Waguri's butou  goes beyond words (『The Japan Times』1994)」写真展[顕在化する肉体〜舞踏〜(1994 北海道 名古屋 東京)]写真展[2月裸体(1995 東京)]雑誌「荒木経惟が選ぶ20代の写真家15人(『自由時間』マガジンハウス 1995)」美術誌「BUTOH アバンギャルドな肉体のカタチ(『プリンツ21』プリンツ 1995)」雑誌「新世紀写真家列伝・踊る写真家谷口雅彦(『カシャッ!』竹書房1996)」写真集「40+1PHOTOGRAPHERS(Mach&Company 1996)」写真展[写真タワー(series〜裸態〜川本裕子1997 北海道)]CD‐ROM「舞踏花伝(ジャストシステム 1998)」写真展[二十年記77/98(肉体と日本 1998 北海道)]コピー本「肉体と日本 東北撮影記(MaP出版 2000)」写真誌「肉体と日本(工藤丈輝と対談『PhotoPre』窓社 2002)」写真展[Session(2002 東京)]写真展[古譚抄(2004 東京)]、ストリッパー 雑誌連載「ストリップ劇場の天使たち(『S&Mスナイパー』ミリオン出版 1993〜1995)」シンポジウム「女体シンポジウム ストリップ写真家谷口雅彦(サブカルチャーセミナー チャンネル69 1994 東京)」雑誌「裏町の仕事人たち 踊り子に魅せられたカメラマン谷口雅彦(『おとこの遊び専科』青人社 1995)」写真展[SHYNCHRO527(風吹舞と桜井しいな 1995)]雑誌「劇場と共に散るストリッパー影山莉菜のカーテンコール(『宝島』 1995)」雑誌「写真評論家高橋周平が選ぶ写真家7人(『SUPER BEST』KKベストセラーズ) 1996」雑誌連載「LOVE×LOVE LIVE 楽屋のオネエサン(『アクションプレス』コアマガジン 1996)」雑誌「新世紀写真家列伝・踊る写真家谷口雅彦(『カシャッ!』竹書房 1996)」雑誌「最新ストリッパー美女名鑑(『宝島』 1997)」写真展[LOVE×LOVE×LIVE=DANCERS(1997 北海道)]雑誌「人気&美人ストリッパーを追いかけろ!(『Dr.ピカソ』バウハウス1997)」写真展[LIVE DANCERS(1998 東京)]雑誌「美人ストリッパー8人LIVE最前線(『ザ・ベストマガジンオリジナル』KKベストセラーズ 1998)」雑誌「超美人新人ストリッパー名鑑20人(『スピードコミック』宝島 1998)」写真展[夏の日(1998 北海道)]文庫本「SMストリッパー(早乙女宏美『性の仕事師たち』写真のみ 河出書房新社 1998)」雑誌連載「StripTheater(『おとこの遊び専科』青人社1998〜1999)」雑誌「赤の情念 踊り子人生総決算 二代目一条さゆり引退直前インタビュー(『S&Mスナイパー』ワイレア出版1998)」写真展[旅岬ーTABIMISAKIー(2001 北海道)]文庫本「裸女の秘技絢爛絵巻~ストリップはいま〜(写真と文 河出書房新社 2002)」雑誌「華麗なるストリップの世界―魅せる女達―(『夜遊び隊』メディアックス 2004)」、ダンサー 雑誌「ヌードダンサーチェリーはやっぱり露出狂である(『A HARDDAYS NIGHT』山手書房新社 1993)」コピー本「風と華(藤乃 2001)」写真誌「風と華(藤乃と対談『PhotoPre』窓社 2003)」、  パフォーマー コピー本「桜とあまぞねす(七海叶 MaP出版 2001)」写真展[エロスタナトス(2001 北海道)]、    舞台女優 雑誌連載「非処女写真館(岡崎イクコ 『おとこの遊び専科』青人社 1995)」写真スライドショー[指輪にホレテルショー(1996 東京)]写真展[谷口雅彦写真展・モデル津島美咲(1996 東京)]雑誌連載「素人娘写真館(坂田有妃子 『おとこの遊び専科』青人社 1996)」美術誌「芸人といおうか、これはつかみどころがむずかしい 劇団指輪ホテル(『美術手帖』美術出版社 1997)」など、身体で表現している人達とのセッションで作品を制作する。社会において大衆に肌や裸体や身体や肉体をさらすという行為、その角度から観た新たな視線で写真表現を試みる写真展[稚児と大仏(1999PHOTODIMENSION 1999 北海道 2004 東京)]。また、性風俗に関わる職に就く女性をモデルに男性誌などでグラビア撮影を試みる雑誌連載「東京旅情(『おとこの遊び専科』 青人社 1998)」雑誌連載「初めて恋したあの場所へ(『夜遊び隊』メディアックス 2003〜)」雑誌「連写オーライ!!『夜遊び隊』メディアックス 2003)」雑誌連載「0.001秒の愛『夜遊び隊』メディアックス 2003〜2004」ことや、性に関わる仕事師のポートレートを撮影する雑誌連載「性職者の人々(『ズバ王』英知出版 2003〜)」。
●旅とヌードをキーワードに作品化を試みる写真展[湘南PONCHI 旧題・現場監督K.Yの恋(NUDE#527 1994 東京)]雑誌連載「素人娘写真館(『おとこの遊び専科』青人社 1996〜1997)」雑誌「銚子1998 写真谷口雅彦 (『DARADARA vol.1』)三和出版 1998」写真展[夏の日(1998 北海道)]。
●1995年頃から日記のように撮り続ける写真日記を撮り続け、出版物や展覧会などで試みを繰りかえし写真展[SYINCHRO527(1995 東京)]写真展[中目派誕生!(1996 東京)]写真誌「海へ―写真少年の青春物語―(『写真時代インターナショナルvol.1』コアマガジン 1996)」写真展[サロン・ド・527(冬の旅 1996)]写真展[KISS DE 527(室内展示 冬の旅 1996)]写真展[ウェルカム527(1997 東京)]、1997年『日々の旅』と命名する。その後も『日々の旅』に通ずる小作品を発表し続け写真展[九十九の旅(1999 北海道)]写真誌「九十九の旅(『写真王国』写真王国 1999)」写真展[こばこまめ〜小田原・箱根・伊豆〜(2000 北海道)]写真展[双零の旅(2000 北海道)]写真展「旅岬―TABIMISAKI―(2001 北海道)」、『日々の旅』に収斂させていくことを試みる写真展[写真タワー(日々の旅 1997 北海道)]写真展[CITIZUN(Hibino‐tabi −Journey Day By Day−1998 サンフランシスコ)]写真展[日々の旅―Journey Day By Day―(2000 東京)]写真展[AZUMA組札幌展(日々の旅―Journey Day By Day― 2001 北海道)]写真誌「TIDE(日々の旅 窓社 2001 )」写真集「日々の旅1993‐2002(ワイズ写真叢書15 2002)」写真展[日々の旅1993‐2002(2004 東京)]。ここでいう旅とは、古くは「他火」といっていた頃に由来する。「他者」の「火=命」に触れること自体が旅。
●1998年から1999年撮りおろし写真と日記で連載する雑誌連載「谷口雅彦写真日記(『さっぽろたうん情報』1998〜1999)」。写真コラム掲載写真誌「写真の日々(『写真王国』写真王国 1999)」フリーペーパー「写真コラム(『FHOTOS GENOM』 2000)」。
●あらかじめビデオで撮影し、1秒間に30フレームのビデオ画像を一眼レフカメラで20分の1秒以下のシャッタースピードで設定し、モニターから、カラーバランスのくずれや複合する画像を1枚のプリントに写し込み、大量の、あるいはある程度のまとまった数を前後左右に構成して展示する作品を発表する写真展[SYINCHRO527(1995 東京)]写真展[GOLGI PAMPHLET(サブカルチャーイベント 1995 東京)]。
●1997年頃から35mmパノラマカメラで36コマ全てをワンシートに密着プリントをして1ページで見せる連作を制作したり雑誌連載「パノラマライフ(『素人デジタル投稿』バウスターン 2000〜2001)」、1秒間に4連続にシャッターが切れるトイカメラで人物の顔の表情を撮り、視覚のズレを表出する試みを雑誌誌上で試みる雑誌連載「0.001秒の愛(『夜遊び隊』メディアックス 2003〜2004)」。
●場所にこだわり、人と心象風景を撮り作品化を試みる写真展[稚児と大仏(1999PHOTODIMENSION 1999 北海道 2004 東京)]写真展[夏晴雨―なつせいう―(2001 北海道)]。
●2003年女性たちのポートレートを撮影して空間にインスタレーションして貼り巡らせてみせる作品を発表する写真展[おむにばす娘(2003 東京)]。
●展覧会は、現在まで個展24回、グループ・企画展34回。
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